
大学の研究職に転職して1ヶ月が経った
この4月から、大学の研究職として働き始めた。特任研究員という肩書きで、主にインフラやSRE寄りの仕事をしている。前職まではずっと民間で働いてきたので、大学という場所に身を置くのは人生で初めてのことだ。
1ヶ月経って、いろいろと思うところがあったので、まとめて書いておこうと思う。
「なんで研究職に転職できたんですか?」
よく聞かれる質問だ。そして、聞かれるたびに「確かになあ」と自分でも思う。
僕はもともと大学畑の人間ではない。ゲーム業界から始まってずっと民間でプログラマをやってきた人間が、急に研究職に転職したと言われても、「?」しか浮かばないのが普通だと思う。僕自身、他の人が同じルートを辿るとしたらどうなるのか、知りたいくらいだ。
きっかけらしいきっかけは、デブサミだった。
懇親会で、今の職場で誘ってくれた方を紹介してもらった。軽く話をしているうちに興味を持ったので、「一度遊びに行ってみたいです」と伝えたところ、「じゃあ来ますか」という話になった。そこから何度か研究室に足を運び、2回か3回ほど訪れる中で、仕事の話が自然と出てくるようになっていった。
あるとき、「近いうちに次の仕事を探そうと思っている」という話をしたら、「うちはどうですか」という話になった。これが始まりだ。
後日、別の人にこの話をしたときに、「デブサミって仕事に繋がることがあるような場所じゃなくないですか?」と言われた。確かに、デブサミから仕事に繋がるという話は、僕も他ではほとんど聞いたことがない。いろんなラッキーが重なったのだと思う。
1週間、量子コンピュータを勉強した話
初めて研究室を訪ねることになったとき、僕は1週間ほど量子コンピュータについて必死に勉強した。せっかく訪問するのだから、少しくらいは会話になるようにしておきたかった。
1週間勉強して分かったことは、1週間勉強しても何も分からないということだった。
量子コンピュータは、そんなに甘くなかった。対等に会話できるような知識は、1週間では到底身につかない。仕方がないので、訪問した当日、その方に「すみません、勉強したんですけど全然分かりませんでした」と正直に伝えた。
すると、返ってきた言葉が衝撃だった。
「僕も分かりません」
「どういう世界観やねん」と思った。研究者本人が「分かりません」と言う世界があるのか、と。
でも後になって思うと、これは量子コンピュータという分野の深さと、研究という営みのあり方を、一番端的に表す言葉だった気がしている。完全には分からないものに対して、それでも毎日向き合い続ける。そういう仕事が、ここにはあった。
25年後の目標、という話
そのとき、量子コンピュータの開発スケジュールについても聞いた。
返ってきた答えは、「25年後に政府が掲げている6つの目標があって、それを叶えようと動いています」というものだった。
25年後。
僕の生きてきた世界では、絶対に出てこないタイムスケジュールだった。民間の仕事では、長くても数年先。多くの場合は四半期単位、月単位で目標が設定される。「25年後の目標のために今動く」というのは、僕のこれまでの世界観の中にはない概念だった。
もちろん、達成できるかどうかは誰にも分からない。それでも、そのために毎日研究を続けている人たちがいる。
そういう時間軸で動いている場所があるのか、という驚きが、その日の一番強い印象だった。そしてこのとき、「ここで働いてみたい」という気持ちが、たしかに芽生えた気がする。
個人事業主として8ヶ月、その後
とはいえ、いきなりフルタイムで就職するというのは、当時の僕にとってはハードルが高かった。
そこでまずは、個人事業主として業務委託の契約を結ぶ形で働き始めた。2024年の8月のことだ。それから8ヶ月ほど、外部のエンジニアという立場で関わっていた。
仕事の内容は、研究室で使われているシステムの監視基盤を整えていくことだった。今で言うSREの領域だ。
ただ正直に書いておくと、当時の僕はこの分野について、ほとんど何も知らなかった。SREという言葉こそ聞いたことはあったが、それが具体的に何をする仕事なのかはよく分かっていなかった。監視が何を指すのかも分かっていなかったし、PrometheusもGrafanaもOpenTelemetryも、名前すら聞いたことがなかった。オブザーバビリティという言葉も、当然知らなかった。
そこからのスタートだったので、最初の数ヶ月は本当に手探りだった。文字通り一つずつ調べながら、試しながら、少しずつ形にしていった。Claude Codeのような生成AIに助けられた部分も大きい。分からないことをその場で聞きながら進められる環境がなかったら、ここまで来るのはもっと大変だったと思う。
半年以上経った頃、先方から「このまま個人事業主として続けてもらうよりは、フルタイムで来てもらうほうがいい」という打診があった。僕自身もその頃には、研究室の空気や働き方が自分に合っていると感じていたので、フルタイムへの移行を決めた。
そして2026年の4月1日、正式に大学の特任研究員として働き始めることになった。
働き始めて驚いたこと
入ってまず驚いたのは、この場所のルールのなさだった。
裁量労働制で、時間の制限がない。極端な話、1分でも働けば、その日は働いたことになる。成果に対するマネジメントも、民間時代に経験してきたものに比べれば驚くほど少ない。誰が何時に来て、何時に帰ったかも、周りはほとんど気にしていない。
これが、驚くほど心地いい。
時間で管理されないことが、こんなに楽で自由だったのか、と思った。途中経過を細かく追われることもなく、結果を出すかどうかの短いサイクルで評価されることもない。大きな目標さえ共有されていれば、あとは僕の裁量でやればいい。そういう場所だった。
もちろん、この自由には向き不向きがあると思う。目的を明確に与えられないと動けない人にとっては、この環境はむしろ苦しいかもしれない。でも、自分でやることを見つけて勝手にやっているのが一番好きな僕のようなタイプには、ほぼ理想郷に近い。
朝6時15分に家を出る生活
自由な時間に出社していいとなると、人間いろいろ試してみたくなる。
僕が行き着いたのは、朝6時15分に家を出るというライフスタイルだった。家は京都、職場までの通勤時間は片道1時間40分ほど。この時間帯の電車は驚くほど空いていて、座れるどころか車両に数人しかいないこともある。
通勤が、苦痛ではなく、ちょっとした楽しみの時間になった。最短ルートを研究したり、自転車を使って駅までの時間を削ったり、Googleマップが提示する所要時間をいかに縮めるかをタイムアタック感覚で最適化したり。
今では最速1時間15分で大学につくことも可能だ。
この1ヶ月でやっていること
仕事の中身としては、前述の監視基盤の構築を引き続き進めている。Docker やAWSで動かす構成だ。個人事業主時代から取り組んできた内容の延長線上にあり、少しずつ知識が血肉になってきた感覚がある。
仕事と並行して、勉強にもかなりの時間を割いている。裁量労働制の自由さもあって、成果を出しつつ勉強する時間を確保するのが、思っていたよりずっとやりやすい。
今読んでいるのは、AIと量子コンピュータの本が中心だ。量子コンピュータについては、実際に手を動かしながら学べるタイプの教材を使って、少しずつ感覚を掴んでいるところ。LLMの基礎についても、トークナイザから事前学習のデータパイプラインまで、体系的に押さえるようにしている。
加えて、英語の動画もかなり見るようになった。この分野でやっていくなら、英語が読めたり聞けたりすることはいずれ必須になる。半年後には技術系の英語カンファレンスの内容が理解できるくらいにはなっていたい、という目標を立てて、単語帳アプリで日々語彙を増やしたり、海外のテック系YouTubeチャンネルを習慣的に見たりしている。
正直、この分野の基礎知識は僕にはまだまだ足りていない。勉強していて「全然ついていけない」「このままでいいのか」と感じることもある。でも、この悔しさを感じながら勉強できる環境にいること自体が、今の僕にはとてもありがたい。
図書館も好きに使えるのは、大学ならではの恵まれた環境だ。今まで見た中で一番大きいと言っていいほど本が揃っていて、量子コンピュータの専門書も当然のように借りられる。これだけでもこの場所にいる価値がある、と思うときがある。
これから
まだ1ヶ月しか経っていないので、この先どうなるかは正直分からない。半年後には考えが変わっているかもしれないし、逆にもっと面白くなっているかもしれない。
ただ、今この時点で言えることは、この環境が驚くほど僕に合っているということだ。自由で、時間にも目的にも縛られず、それでいてやるべきこと・やりたいことは山ほどある。この先しばらくは、この場所でじっくりやっていこうと思っている。
また何か感じることがあれば、書き残しておきたい。


































