大阪大学QIQBの特任研究員に転職して1ヶ月が経った

大学の研究職に転職して1ヶ月が経った

この4月から、大学の研究職として働き始めた。特任研究員という肩書きで、主にインフラやSRE寄りの仕事をしている。前職まではずっと民間で働いてきたので、大学という場所に身を置くのは人生で初めてのことだ。

1ヶ月経って、いろいろと思うところがあったので、まとめて書いておこうと思う。

「なんで研究職に転職できたんですか?」

よく聞かれる質問だ。そして、聞かれるたびに「確かになあ」と自分でも思う。

僕はもともと大学畑の人間ではない。ゲーム業界から始まってずっと民間でプログラマをやってきた人間が、急に研究職に転職したと言われても、「?」しか浮かばないのが普通だと思う。僕自身、他の人が同じルートを辿るとしたらどうなるのか、知りたいくらいだ。

きっかけらしいきっかけは、デブサミだった。

懇親会で、今の職場で誘ってくれた方を紹介してもらった。軽く話をしているうちに興味を持ったので、「一度遊びに行ってみたいです」と伝えたところ、「じゃあ来ますか」という話になった。そこから何度か研究室に足を運び、2回か3回ほど訪れる中で、仕事の話が自然と出てくるようになっていった。

あるとき、「近いうちに次の仕事を探そうと思っている」という話をしたら、「うちはどうですか」という話になった。これが始まりだ。

後日、別の人にこの話をしたときに、「デブサミって仕事に繋がることがあるような場所じゃなくないですか?」と言われた。確かに、デブサミから仕事に繋がるという話は、僕も他ではほとんど聞いたことがない。いろんなラッキーが重なったのだと思う。

1週間、量子コンピュータを勉強した話

初めて研究室を訪ねることになったとき、僕は1週間ほど量子コンピュータについて必死に勉強した。せっかく訪問するのだから、少しくらいは会話になるようにしておきたかった。

1週間勉強して分かったことは、1週間勉強しても何も分からないということだった。

量子コンピュータは、そんなに甘くなかった。対等に会話できるような知識は、1週間では到底身につかない。仕方がないので、訪問した当日、その方に「すみません、勉強したんですけど全然分かりませんでした」と正直に伝えた。

すると、返ってきた言葉が衝撃だった。

「僕も分かりません」

「どういう世界観やねん」と思った。研究者本人が「分かりません」と言う世界があるのか、と。

でも後になって思うと、これは量子コンピュータという分野の深さと、研究という営みのあり方を、一番端的に表す言葉だった気がしている。完全には分からないものに対して、それでも毎日向き合い続ける。そういう仕事が、ここにはあった。

25年後の目標、という話

そのとき、量子コンピュータの開発スケジュールについても聞いた。

返ってきた答えは、「25年後に政府が掲げている6つの目標があって、それを叶えようと動いています」というものだった。

25年後。

僕の生きてきた世界では、絶対に出てこないタイムスケジュールだった。民間の仕事では、長くても数年先。多くの場合は四半期単位、月単位で目標が設定される。「25年後の目標のために今動く」というのは、僕のこれまでの世界観の中にはない概念だった。

もちろん、達成できるかどうかは誰にも分からない。それでも、そのために毎日研究を続けている人たちがいる。

そういう時間軸で動いている場所があるのか、という驚きが、その日の一番強い印象だった。そしてこのとき、「ここで働いてみたい」という気持ちが、たしかに芽生えた気がする。

個人事業主として8ヶ月、その後

とはいえ、いきなりフルタイムで就職するというのは、当時の僕にとってはハードルが高かった。

そこでまずは、個人事業主として業務委託の契約を結ぶ形で働き始めた。2024年の8月のことだ。それから8ヶ月ほど、外部のエンジニアという立場で関わっていた。

仕事の内容は、研究室で使われているシステムの監視基盤を整えていくことだった。今で言うSREの領域だ。

ただ正直に書いておくと、当時の僕はこの分野について、ほとんど何も知らなかった。SREという言葉こそ聞いたことはあったが、それが具体的に何をする仕事なのかはよく分かっていなかった。監視が何を指すのかも分かっていなかったし、PrometheusもGrafanaもOpenTelemetryも、名前すら聞いたことがなかった。オブザーバビリティという言葉も、当然知らなかった。

そこからのスタートだったので、最初の数ヶ月は本当に手探りだった。文字通り一つずつ調べながら、試しながら、少しずつ形にしていった。Claude Codeのような生成AIに助けられた部分も大きい。分からないことをその場で聞きながら進められる環境がなかったら、ここまで来るのはもっと大変だったと思う。

半年以上経った頃、先方から「このまま個人事業主として続けてもらうよりは、フルタイムで来てもらうほうがいい」という打診があった。僕自身もその頃には、研究室の空気や働き方が自分に合っていると感じていたので、フルタイムへの移行を決めた。

そして2026年の4月1日、正式に大学の特任研究員として働き始めることになった。

働き始めて驚いたこと

入ってまず驚いたのは、この場所のルールのなさだった。

裁量労働制で、時間の制限がない。極端な話、1分でも働けば、その日は働いたことになる。成果に対するマネジメントも、民間時代に経験してきたものに比べれば驚くほど少ない。誰が何時に来て、何時に帰ったかも、周りはほとんど気にしていない。

これが、驚くほど心地いい。

時間で管理されないことが、こんなに楽で自由だったのか、と思った。途中経過を細かく追われることもなく、結果を出すかどうかの短いサイクルで評価されることもない。大きな目標さえ共有されていれば、あとは僕の裁量でやればいい。そういう場所だった。

もちろん、この自由には向き不向きがあると思う。目的を明確に与えられないと動けない人にとっては、この環境はむしろ苦しいかもしれない。でも、自分でやることを見つけて勝手にやっているのが一番好きな僕のようなタイプには、ほぼ理想郷に近い。

朝6時15分に家を出る生活

自由な時間に出社していいとなると、人間いろいろ試してみたくなる。

僕が行き着いたのは、朝6時15分に家を出るというライフスタイルだった。家は京都、職場までの通勤時間は片道1時間40分ほど。この時間帯の電車は驚くほど空いていて、座れるどころか車両に数人しかいないこともある。

通勤が、苦痛ではなく、ちょっとした楽しみの時間になった。最短ルートを研究したり、自転車を使って駅までの時間を削ったり、Googleマップが提示する所要時間をいかに縮めるかをタイムアタック感覚で最適化したり。

今では最速1時間15分で大学につくことも可能だ。

この1ヶ月でやっていること

仕事の中身としては、前述の監視基盤の構築を引き続き進めている。Docker やAWSで動かす構成だ。個人事業主時代から取り組んできた内容の延長線上にあり、少しずつ知識が血肉になってきた感覚がある。

仕事と並行して、勉強にもかなりの時間を割いている。裁量労働制の自由さもあって、成果を出しつつ勉強する時間を確保するのが、思っていたよりずっとやりやすい。

今読んでいるのは、AIと量子コンピュータの本が中心だ。量子コンピュータについては、実際に手を動かしながら学べるタイプの教材を使って、少しずつ感覚を掴んでいるところ。LLMの基礎についても、トークナイザから事前学習のデータパイプラインまで、体系的に押さえるようにしている。

加えて、英語の動画もかなり見るようになった。この分野でやっていくなら、英語が読めたり聞けたりすることはいずれ必須になる。半年後には技術系の英語カンファレンスの内容が理解できるくらいにはなっていたい、という目標を立てて、単語帳アプリで日々語彙を増やしたり、海外のテック系YouTubeチャンネルを習慣的に見たりしている。

正直、この分野の基礎知識は僕にはまだまだ足りていない。勉強していて「全然ついていけない」「このままでいいのか」と感じることもある。でも、この悔しさを感じながら勉強できる環境にいること自体が、今の僕にはとてもありがたい。

図書館も好きに使えるのは、大学ならではの恵まれた環境だ。今まで見た中で一番大きいと言っていいほど本が揃っていて、量子コンピュータの専門書も当然のように借りられる。これだけでもこの場所にいる価値がある、と思うときがある。

これから

まだ1ヶ月しか経っていないので、この先どうなるかは正直分からない。半年後には考えが変わっているかもしれないし、逆にもっと面白くなっているかもしれない。

ただ、今この時点で言えることは、この環境が驚くほど僕に合っているということだ。自由で、時間にも目的にも縛られず、それでいてやるべきこと・やりたいことは山ほどある。この先しばらくは、この場所でじっくりやっていこうと思っている。

また何か感じることがあれば、書き残しておきたい。

キャリアブレイクをブレイク👉就活始めました

キャリアブレイクブレイク

退職エントリ + キャリアブレイクの決断 + resumeの公開というブログを書いた。そして、実際にキャリアブレイクの期間を過ごした。予定通り勉強を中心とした生活で、とても充実した日々だった。キャリアブレイクの間にやっていることは随時発信しており、それによるとても嬉しいフィードバックも色々あった。

この期間の総括は、改めて何かの形で発表したいと思っている。

さて、自分としては、そろそろ就活をしなくては、というフェーズに入った。ところが、これまでの半年間とは違い、この1ヶ月半は思うように進んでいない。それも「会社を落ちまくっている」というより、考えがグルグルして動けなくなっている状態。このままだと良くない気がしているので、7月中に方向性を定めるため、これまでの振り返りと今後の方針を整理しておくことにした。


GW明けぐらいから

GW明けから就活を始めようと思っていた。resumeを公開したことでの問い合わせは、ぶっちゃけほとんどなかった。ただ、この期間に知り合った人やFacebookの友達、以前の職場のつながりなどから、ちらほら話はもらっていた。

また、自分から興味のある会社にアプローチする動きもしていた。具体的な応募というより、カジュアル面談や1on1で話を聞くという形式。就活を意識して飲みに行くこともあった。


カジュアルとは?

想定外だったのは、カジュアル面談を申し込んだのに、いきなりお祈りメールが来たこと。それも複数社あった。「話を聞いてみましょう」くらいの温度感だと思っていたので、「断られる」こと自体が予想外だった。

また、第一希望で考えていた会社も、過去に説明会で落ちていたことで「1年以内再応募不可」というルールに引っかかり、応募資格がなかった(説明会もカウントされるのは想定外)。

こうした出鼻をくじかれる出来事が続いたのもあり、履歴書をバンバン出して正式に受けるような流れに乗れなかった。さらに、就活が絡むと勉強にもまったく集中できない。「今日は面談あるな」と思うだけで一日中意識がそちらに引っ張られることも多かった。


一旦、自分の考えを見つめなおす

「自分はどういう会社で働きたいのか?」を考え直すことにした。

  • ゲーム開発への想いはずっとある(割合としてはそこまで大きくないが「また作りたい」気持ちは残っている)。
  • 自社サービスを持ち、成長させている会社にも魅力を感じる。
  • 「自由な働き方」への関心も大きくなった。リモートワーク、フレックス、エンジニアリスペクト、福利厚生の充実など。

ただ、これらを全て満たす会社は多くはない。特にゲーム業界は募集要項だけを見ても明らかにエンジニアリスクペクトに乏しい。これはちょっと悲しかった。。一方で、起業やフリーランスという選択肢も現実味を帯びてきた。ただ、長年会社員として働いてきた自分にとって、いきなりその選択をするには不安もあった。


自作サービス

一方で、個人開発は順調だった。5月〜6月にかけて、英語圏向けのサービスを集中して仕上げた。

  • 既に自分でも使っておりドッグフィーディングで一通りの機能は実装
  • β版として人に触ってもらい、フィードバックが欲しい段階
  • 英語圏での発信として、動画制作・英語コンテンツ・技術ブログなども始める
  • Product Huntへの掲載(100ポイントほど獲得)

Product Huntの乗せたことで、ちらほらフィードバックが来たと思ってけれど、結果的には全部プロモーション系のDMだった。肝心の「実際に使ってくれる人からのフィードバックが欲しかった」という想いに対し、やり方がズレていたのかもしれないと反省。

活動は長期戦になるかもという予感が出てきた。


迷いの6月

この6月は、ありがたい話もある一方で、自分の中で迷いが大きくなっていた。

  • 話を進めたいと思っていた会社とのやりとりが保留状態(相手が非常に多忙)
  • 別の会社からも魅力的な提案はもらっている
  • ただ、どこか一社に決めてしまうと、他の可能性は閉じてしまう

だからこそ、フリーランスという選択肢にも改めて強く惹かれている。ただ、具体的な一歩はまだ踏み出せていない。時間だけが過ぎていく中で、「決めきれなさ」が残ったまま、6月が終わろうとしている。


もう一つの障害

もう一つの壁は、「この先もプログラマでいられるのか?」という問いだった。

生涯プログラマを掲げてきたけれど、今年に入ってその目標が揺らいでいる。AIによって、コードを書く仕事自体の意味が変わってきている。

もちろん、趣味としては続けると思う。その中で自分はプログラマとして何が出来るのか、何をしたいのか。


7月へ

いろいろあった6月を経て、7月もこのままでは過ぎてしまいそうだと感じている。

だからこそ、キャリアブレイクは6月で終了とし、7月からは「就活中」であることを明確にして動いていこうと思う。

最後に、自作サービスを知ってもらう良い機会だと思い、自作サービス Pinetree を使ってレジュメを書きなおした。少なくとも、既存のサービスではあまり見かけない文章体験になっていると思う。もし、気になったらぜひユーザ登録してください。

pine-tree.site

最後に、共感できる会社があれば、すぐにでも働けます。また、フリーランスという道も、真剣に検討し始めています。もしよければ、相談に乗ってくれる方がいればとてもありがたいです。

キャリアブレイク × 新温泉町 13,14日目

明日帰るので、今日は最終日。色々歩くつもりだったが、朝起きると喉が痛い。ヤバい。一旦もう少し寝ることにする。8時過ぎに再び起きたが、万全とは言えない。少しアルゴリズムを見てから風呂へ。その後、試しに20分ほど散歩してみた。もし元気なら湯村から浜坂まで歩こうと思っていたが(約2時間)、今の体調では無理そうだと判断。部屋に戻って少し休憩し、コワーキングスペースへ。前回、ここは月に1回くらいしか利用者がいないと聞いたが、僕だけで3か月分の利用者になった計算だ。体調が万全ではなく、他のことをする自信はなかったが、プログラムなら組めるものだなと思った。むしろ、余計なことに意識が向かない分、作業がはかどった気がする。ひたすら自作サービスを作り、形になってきた実感がある。ランチもカフェで済ませ、さらに売り上げに貢献。

やろうとしていたことは大体できた。ただ、ゴールに近づくと、また新たな課題が見えてくるものだ。

ホテルに戻って、ルーターモデムを探してみると、客室廊下の天井に発見。

Googleカメラで調べると、やはり予想していたルーターモデムだった。スマホで限界まで近づいて測定すると、今回の旅で初めて150Mbpsが出た。ただ、その後はもうその数値は出ず、100Mbps以上はやはり稀なのかもしれない。今回の旅でWi-Fi環境について少し詳しくなった気がする。夜は行きたかった店に行けなかったので、代わりにカツ丼。どんどん。

ホテルに戻り、風呂に入った後、空を見上げるとようやく晴れていた。田舎の星空をじっくり見たいと思っていたが、この12日間、ずっと雲に覆われていた。やっと見えたが、風呂からの眺めはいまいちだったので、着替えて外へ。しかし、期待していたほどではなかった。

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そして最終日の朝。咳が出る。ただ、せっかくなので最後にお風呂へ。朝は男性用の浴場が2か所使えるので、狭い方を選んだ。太陽の下でお風呂に入れたのは、今回の旅で初めてかもしれない。ずっと雪と雨だったため、なかなか見られなかった。部屋に戻り、チェックアウトの時間まではプログラムを組む。このタイミングで、今の実装の大きな欠点が見えてきた。まあ、こういうものだ。軽く部屋を片付け、外へ出ようとしたところでスマホが見当たらず、少し焦ったが、何とか遅れずに済んだ。

最後の道中、思い出深い場所をパシャパシャと写真に収める。










そして10:30のバスで新温泉町を後にする。バスの中では本を読んだり、眠ったり。咳が出て少し困った。大阪に着き、昼ご飯を食べて、エシュレでお土産を購入し、帰宅。家に帰るまでが遠足なので、これにて旅は終了。ありがとうございました!あ、家でWifi計測したら120MBpsだった。もっと出るかと思っていた。

キャリアブレイク × 新温泉町 12日目

昨日は体調が万全ではなかったものの、大きく崩れることはなく、起きても少し喉が痛い程度で済んだ。本日は、前回もお会いした山本さんがまた時間を作ってくれるということで、楽しみな朝を迎えた。パソコンで、構想中のサービスを簡素化しながら作業を進め、適当なところで切り上げた。その後、身の回りのことを片付けつつ、ずっと後回しにしていた家計簿のレシート整理を終え、すべて入力し終えた。お風呂に行った際、たまたまルーターモデムを見つけたので調べてみたが、これならもう少し速度が出るはずだけどなと思った。でも、旧型かもしれない。このあたりは旅館の方に聞かないとわからないが、そもそも聞いてもわからない可能性もあるので、またできたら確認しようと思った。

その後、TOJIに移動し、山本さんと合流。まずは棚田へ連れて行ってもらった。まだ少し雪が残る中、景色は最高だった。ここは、田植えの時期や稲穂が実る季節にもぜひ訪れたい場所だと感じた。山本さんも「ドローンで撮影すると素晴らしい」と言っていた。確かに、電線もなく、壮大な景色が広がっているので、撮影には最適だろう。

次に但馬牧場公園を訪れ、但馬牛の歴史について学んだ。

先日の温泉と同様、知識が増えるとその価値も高まる。改めて、但馬牛は素晴らしい牛だと思ったが、それが十分に周知されていないのが課題だろうな。まあ、いくら「ここがポイントです!」と声を大にしても、そもそも関心のない人に届けるのは非常に難しい。これは、今自分が作っているサービスを広める際にも同じことが言えるなと感じた。その後、牛舎にも足を運んだ。牛舎の匂いは、どこか馬の厩舎に似ていると感じたが、中に入るとやはり共通点が多かった。博物館で見た道具も、馬と牛で共通するものが多かったため、両者の飼育には共通点があるのだろう。少し牛に触れてみたが、耳の後ろを触っても嫌がらないのは、馬とは違う点だなと思った。

その後、以前から気になっていたものの、なかなか行けなかった蕎麦屋に連れて行ってもらえた。店の外に飾られていた写真を見ていたら、山本さんが「これ、私が撮ったのよ」と言い、驚いた。そばは定食を注文。天ぷらやご飯もついていて、大盛りにしたが、しっかり食べ切ることができた。味もとても美味しかった。TOJIに戻ると、地域おこし協力隊の方や、月曜日にも会った方と再会し、雑談を楽しんだ。その後、ホテルに戻り、Cafe98℃で過ごすことにした。ここでもモデムが気になり、スタッフに聞いてみたところ、13年前の旧型モデムだということが判明。速度が出ない原因かな。もしかすると、町全体で同じようなことかもしれない。違うかもしれない。ここでは他のメンバーとも少し話し、その後プログラミングをしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。少し休憩を挟んで、夜ご飯はプログラムの参加メンバー6人で中華に。ここの中華は以前も美味しかったので、みんなで一品ずつ注文し、少し追加もした。お酒も飲んだが、会計は一人2000円もしなかった。話も弾み、とても楽しい時間を過ごせた。




今日はとにかく人と会う機会が多い一日だった。少し疲れたが、それ以上に充実した楽しい一日だった。

キャリアブレイク × 新温泉町 11日目

昨日はやることをやらずに寝てしまい、朝寝坊。午前中は溜まっている作業や洗濯、ブログを書いているうちにあっという間に過ぎてしまった。今回は専用スペースを自作する必要はなく旅館の机で作業が出来た。

洗濯はだいぶコツを掴んできた気がする。幸い、この部屋には小さいながらもお風呂と洗い場があるので、最大限に活用。まずは熱めのお湯を出し、シャツ、パンツ、靴下を浸しておく。それから、一つずつ取り出し、ボディソープをしっかり泡立ててから擦る。前回はあまり考えずに直接つけて擦っていたが、泡立てた方が汚れが落ちやすい気がする。次にお湯でしっかりすすぐ。前回は洗面器に溜めたお湯ですすいでいたが、お湯を流しながらの方が泡がしっかり落ちることに気づいた。洗面器も活用しつつ、最後に絞る。これがなかなかの力仕事で、特にシャツは完全には絞りきれず、手も痛くなる。仕上げにバスタオルで挟んで踏み、できるだけ水分を取る。結構な重労働で、1時間まではかからないものの、それなりに時間を要した。昔の人は毎日こうして洗濯をしていたのかと思うと、改めて文明の利器のありがたさを実感する。乾いた後、前回は感じなかった石鹸のような香りがした。少し上達したかもしれない。

一度晴れたので、少し長めに散歩しようかと思ったが、結局また雨がひどくなり、遠出は断念。でも、お昼に少し遠めのラーメン屋まで行ってみた。本当は神社などにも寄りたかったが、天気のせいでやめておいた。晴れていたら行ったのにな……。歩きながら町の様子を観察していると、美容院、銀行、病院、喫茶店はどこにでもあるのだろうなと思った。つまり、そういった職業ならどこに行っても仕事があるということか。お墓もあったので、お坊さんも安定した職業なのかもしれない。ふと「銀行ってどうやって作るんだろう?」と考えたが、これは重要そうなテーマなので、深く考えるのはやめた。40分ほど歩いてラーメン屋に到着。メニューの種類がとても多く、驚いた。味はまあ、悪くない。

帰りにスーパーのような何でも屋を見つけたので立ち寄ってみた。洋服、食材、電化製品、本など、品揃えが充実している。

ケーキ屋もあった。そういえば、ケーキ屋もなくならない仕事かもしれない。隣のドラッグストアにも寄り、朝ごはんなどを調達。この時点で少しだるさを感じたので、ホテルに戻り、仮眠を取ったり、アルゴリズムの問題を解いたり、本を読んだり、サービスを作ったりした。いまいち集中できなかったが、まあ、そんな日もある。夜は近くの居酒屋に行ってみたが、予約で満席だったため断念。代わりに、この町で一番良かった中華料理屋に再び足を運んだ。

キャリアブレイク × 新温泉町 10日目

朝起きて、アルゴリズムの問題を解き、次に自作サービスの続きを進めた。アルゴリズムはようやく30問目。決して早いペースではないけれど、だいぶビビらなくなってきた。しかし、30分で解ける問題は稀で、焦らないようにしているので、急がずじっくり取り組んでいる。サービスの方は、だいぶ流れが見えてきた。チェックアウトは10時だったので、ギリギリまで作業してからチェックアウトした。

今日は、鳥取の友人と会う予定だった。少し遅れるとの連絡があり、歩きながら泊まっていた旅館のこととかを考えていた。友人と合流し、喫茶店に入った。田舎の喫茶店、いや、田舎に限らず古風な喫茶店はだいたい喫煙できることを二人とも忘れていて、入った瞬間ちょっと驚いたけれど、幸い、吸っている人はいなかった。喫茶店って、そういう場所だったことを思い出した。カフェならそういったことは少ないし、普段あまり入らないので、すっかり忘れていた。せっかく来てもらったし、後輩ではあるものの、キャリアブレイク中の身としてはなかなか奢れないので、せめてここだけは奢ることにした。ランチは少し贅沢にしたので、割り勘にすることに。2時間ほど話してから、但馬ビーフレストラン「楓」へ向かう。ここでも2時間ほど話し、その後、最後の30分くらいを話して解散。リアルで会うのは10年ぶりくらいで、非常に楽しい時間だった。

彼も鳥取の田舎に住んでいて、観光資源もあまりない地域で区役所で働いているので、わりと充実した話ができた。昨日泊まった七釜旅館は、値段の割にはかなり満足したけれど、古さが目立った。特に南京錠のカギやお風呂のタイルが1/3くらい剥がれている点が気になった。こういった部分は、女性や潔癖症の人にはかなり厳しいかもしれない。しかし、改善しようとすると設備投資が必要で、旅館としては小さい規模でも設備を直すには相当な金額がかかるだろう。食事をした場所の調度品などを見ると、昔はお金をかけていたのだろうと思うが、今の状況では改善は難しい気がする。旅館に限らず、観光業全般が厳しく、例えば昨日乗ったバスも僕一人だった。赤字路線で運行は続いているけれど、もし運行が止まると、それも問題が大きいとも感じた。

彼も同じようなことをずっと考えていて、基本的にその流れ自体は止められないと言っていた。色んな方法で、色んな人がそれを変えようとしているけれど、根本的には延命措置に近いという見解だった。下降線を止めることはできないけれど、何かをすることでそれを緩やかにすることはできる。それによって少しでも延ばしていけるかもしれない。でも最終的に考えるべきことは「終わり方」なんじゃないか、という話だった。終わり方。なかなかに強い、そして今まであまり考えたことがなかった言葉だったけれど、確かにこれにはしっくりきた。人も街も国も、いつかは終わる。特に人口が減り続ける地方というのは、かなり危機的な状況にあり、最終的にはどこかで終わることを考えなければならない。それが現実だと思う。そこで、絶望的に感じたのは、その「終わり」を迎えるのは、もしかしたら自分たちの世代なのではないか、ということだった。

最近、ネットで「今の40代は時代の変化の中で常に後始末を押し付けられている」といった話を見かけた。バブル崩壊直後に社会に出るタイミングだったから、就職氷河期を経て厳しいスタートを切らざるを得なかった。そして、ようやく働き盛りになった頃には、終身雇用や年功序列が崩れ、給与や昇進の見通しも厳しくなった。さらに、社会保障費の増加や税負担の重さに直面し、若い世代と比べても将来に対する安心感を持ちにくい。そんな背景から、“割を食う世代”と呼ばれることもあるようだ。自分自身はこの状況に関してそこまで悲観的ではないけれど、それはまだ比較的自由が効く40代や50代だからだ。これが70代、80代になったらどうなるかわからない。そんな時、実際に地方の限界都市などが終わりを迎えて、望まなくても強制的に移住を余儀なくされることになるかもしれない。30年後、そういった未来があり得るのだと思った。そのことを話すと、友人は「それが今、田舎に住んでいるこの世代の共通認識ですよ」と言っていた。自分は本当に田舎に縁遠かったから、今回来ていろいろ分かったこともあるし、思ったこともたくさんある。でも、結局、何も分かっていなかったんだなと改めて感じた。

その後、今泊まっているホテルの近くまで送ってもらい、チェックインして荷物を置いた。予定していた「シン・温泉検定」に向かった。この検定は、新温泉町の温泉について学び、2時間の講習と試験を受ければ取得できるというもので、面白そうだったので受けてみた。内容は予想以上に良かった。前回訪れたときは温泉の効能や歴史について何も知らなかったが、今回はだいぶ知識が増え、妻にも「どういう温泉?」と聞かれたときに、しっかり答えられるようになった。湯村温泉の美人の湯や1000年以上の歴史など、もっとアピールされるべきだと思った。

その後、今回のメインイベントである松葉ガニ試食へ。カニは茹でたものが用意され、鍋やハサミがなかったものの、皆で食べるのが楽しかった。お刺身はスーパーで買ってきたもので、20%オフのシールが貼ってあるサーモンとブリだったが、これもとても美味しかった。個人的には20%オフのシールは、味は20%アップしたように感じますw。そして、いよいよ松葉ガニの足を食べ始め、甲羅も楽しんだ。わりと手と箸でもどうにかなるもんだなと思った。最後は甲羅酒までやっつけてみた。みんなで食べた後、満足感でいっぱいになった。しかし、松葉ガニは正規で購入すると1匹1万円、旅館で食べると3万円ほどになるため、再度食べるには躊躇してしまうかもしれない。それでも、今日は素晴らしい体験ができて、嬉しかった。

お酒も入っていたので、部屋に戻り、すぐに眠りについた。

キャリアブレイク × 新温泉町 9日目

朝起きて少しパソコンで勉強。アルゴリズムコンパイラ、それから構想中のサービスについて。前回来たときはまだアイデアの段階だったけれど、だいぶ開発フェーズに入ってきた。今週はこれに集中するのもありかもしれない。

その後、七釜周辺の旅館のWi-Fi調査。個人経営の旅館が多く、入りづらいところが多かった。入った旅館のひとつでは、かなり警戒されている感じがして、うまく説明する前にいたたまれなくなって出てしまった。そろそろWi-Fiの調査も意味が薄れてきた気がする。どこに行っても大体30~70Mbpsくらいで、100Mbps出るところが一つもないのが気になっている。次はコワーキングスペースで、モデムなどの設備も見せてもらおうかと考え中。ただ、旅館でそういった交渉をするのは少しハードルが高い。

そのまま浜坂の方までとぼとぼ歩く。歩いたことで地理関係はだいぶ理解できた。なるほど。浜坂では、作業できそうなカフェや旅館のチェック。あとは観光も兼ねてひたすら歩いた。Wi-Fiの状況は変わらず。本当はすべての旅館を回るくらいの気持ちだったけれど、入りにくいところも多く、また、調査したところでWi-Fiの速度はそこまで重要ではない気がしてきたので、数件だけにとどめた。カフェは思っていた以上にやっていなかった。普通の喫茶店でパソコンを広げることは、今住んでいるところでもほとんどない。一時期スタバで朝作業をしていたことはあるけれど、純喫茶のような場所で長時間作業するのは気が引ける。かといって、短時間だけ入るのも気が進まない。そう考えると、やはりコワーキングスペースはありがたいなと改めて思った。それにしても、浜坂はそもそもお店自体が少ない。結局、海まで行って日本海を眺めている時間が、一番楽しかったかもしれない。

その後も散歩を続けたが、これ以上得られるものはないかもと思い始めたので、Googleマップでバスを調べた。ちょうど近くにバス停があったので、そこから乗ることに。しかし、来たのは普通のバスではなく、小型のバンのようなものだった。「あ、これがバスなんだ」と思った。バス停に止まる気配もなく、アナウンスも一切なし。Googleマップがなかったら絶対に乗れなかったと思う。しかも乗客は自分ひとり。普段からほとんど利用する人はいないのだろう。オフシーズンにこうした場所がどうやって運営されているのか、不思議に思った。バスにしてもカフェにしても、一定の固定費はかかるはずで、それを賄えるほどの観光客がいないと成り立たないはず。今泊まっている旅館でも他に宿泊客がいる気配がない。観光客がそれなりに来る時期ならともかく、閑散期はどうやって回しているのか。こういう場所は日本中にどれくらいあるのだろうかと考えると、少し怖くなった。

部屋に戻ってからは、また少しアルゴリズムを勉強し、構想中のサービスの続きを進める。本当は外で作業したかったけれど、ワーケーション的な働き方はなかなか難しいなと感じた。歩き回って、目で見て、色々考える日だった。